死ぬまで自分にダメ出しを続けますか?

スピリチュアルな目覚め

こんにちは、AYUMIです。

先日、単発の講座で、初めてサイフォンで珈琲を淹れました。

いつもは、ハンドドリップ一択ですが、違った楽しみ方と魅力を感じて、自宅用にサイフォンの機器を購入しようと色々検討中。
珈琲ライフの楽しみが広がります。

さて、先日、クライアント様とのセッションの当日の朝に流れてきたメッセージ。

それは「もっとゆっくりでいいよ」「もっとラクにしていいよ」というものでした。

「生き残り」をかけたエゴのストーリーは、いついかなる時も「そのままのあなたでいいんだよ」とは言ってくれません。

勝たなければいけないし(何に?)。
選ばれなければらないし(何に?)。
いつも必ず、なにかしらの「ダメ出し」をしてきます。

「もっと〇〇すればよかった」
「△△が出来なかったのは、自分がいけないからだ」
なんて意識にあがってこない…もっと深い部分で「私」という存在を否定し続けながら生きています。

頑張っても頑張っても、自分を認められない。
努力しても努力しても、自分を受け入れられない。

まだまだ、もっともっと。
どんな時でも、常に「このままの私じゃいけない」と追い立てるし、追い込む。

じゃあ、いったいどういう「私」だったからいいのか?
と言われても、答えはないんです。

死ぬまで続く、自分への「ダメ出し・・・・」。

これを「向上心」や「成長」という言葉に、うまくすり替えてしまっている可能性もあります。

もう無理だ、疲れた、しんどい、休みたい・・・。

心と体が悲鳴をあげても、「怠けちゃいけない」「休んじゃいけない」と立ち止まることを許しません。

生存競争をかけたエゴの働きは、ある意味あっぱれとしか言いようのないパワーだな…と感じることがあります。

私自身も、会社員時代に「鬱」になりかけたことがありました。

朝、身支度をして、出かける準備をして、コートまで羽織ったのに。
体が硬直してしまって玄関に行けないのです。

バッグを片手に、突っ立ったまま。
夫に「ごめん」と一言ふり絞るように伝えるのがやっとでした。

エゴのストーリーを生きていると、「今」に寛ぐことが出来ません。

別の言葉で言い表すと、常に「葛藤」を続けていると言ってもいいでしょう。

でも、恐いのは、それが「当たり前」になっていることです。
自分がそうなってしまっていることに気づいていないことです。

虐待を受け続けている人間が、その場から逃げられないことを理解すると。
感情を抑えて殺して、恐怖を「感じなく」させていきます。

そんな、大げさな例えを出されても…って思いますか?

でも、無意識レベルで自分にダメ出しを続けている状態って、同じようなものなんです。

だから、たとえ「もう大丈夫」「もう安心だ」と頭では理解出来ても、深い部分が癒されていないと場所が変わって人が変わっても、「反応」という形で繰り返し出てきます。

男女の間で、学校の中で、職場の中で、あるいはその他の人間関係において。
そして、最も根深い「自分自身」に対して。
「ダメな私」「このままではいけない私」と言い続けてしまうのがエゴのパターンです。

そして虐待の例のように、「自分を守る手段」として身につけてしまったパターンは、そう簡単には崩せません。

セッションでは、そのパターンを緩めていきます。

葛藤だらけのエゴのストーリーから、「本当の自分」が創造する人生へ変化していくプロセスにおいて。

前述のように「自分を守る」ために身につけた諸々を「もういらないよ」とリリースするきっかけは、繰り返し何度も訪れます。

とは言え。
すぐには手放せないもの。

なぜなら、それらは長い間「私」を構成する一部だったし。
そもそも抱えていることさえ気づいていないから。

でも、たとえ抱えているものがわからなくても、あきらかに違和感を覚えたり、何かが動くのを感じ始めます。

「今」に寛げないことが、本当に苦しくなってくるんです。

つまり、ようやく「こんなに自分を我慢させていたんだ」「こんなに自分を追い込んでいたんだ」ということが見えてくるのです。

ダメ出しの大元になっていたパターンが瓦解し始めると…。

それまで似たような出来事があるとパワフルに出ていた「反応」が、弱々しくなって…鳴りをひそめてきます。

これ、「頭で考えて」出来るものではないし、「意図して」弱々しくもなりません。
どれだけ「知識」を増やしても、本物の自己肯定感や自己受容感には繋がりません。

そして、クライアント様を拝見していてわかることは、年齢は一切関係ないということ。

「人生を振り返った時に後悔すること」という話を耳にされたことがあるかもしれませんが、1番は「自分に忠実に生きなかったこと」。

勇気を出して自分の心の赴くままに生きればよかった、という後悔です。

「忠実に」は「正直に」とも言えると私は思っています。

そして、とっても大事なのは、この「自分」ってダメだしをする「エゴ」ではないということ。

大事なことなので、もう一度言います。

自分って、「本当の自分」ということです。

死ぬまでエゴのストーリーを生きて、ダメ出しを続けますか?
それとも、本当の自分として「今」に寛ぐ人生を生きますか?