自分を分析するの、そろそろやめませんか?②制約から解放されて可能性を広げる

スピリチュアルな目覚め

こんにちは、AYUMIです。

今年の夏は、スイカにハマっています。
先日、パートナーが買ってきてくれた「姫甘泉」というスイカ。
初めていただきましたが、甘くて絶品でした!

さて、前回の記事の続きになります。

自分を分析するの、そろそろやめませんか?①ラベルによる自己制限と自己評価の歪み
タイプ分析は、個人の性格や行動の傾向を理解する上で、活用できるアプローチのひとつです。ただし、その結果に固執してしまうと自己の多様性が制約され、気づかないうちに「不自由」をわざわざ選択する結果になっているかもしれません。

簡単に振り返ると。

タイプ分析の結果に過度に固執する・・・・・・・ことで、自己評価の歪みが生じ、成長の足掛かりを気づかないうちに拒絶してしまう傾向がある、ということをお話させていただきました。

また、前回には書かなかったことで、他者への偏見とラベリングもあります。

分析や診断の結果に基づいて、他者を特定のタイプに分類しようとする傾向が生じることもあります。

「あなたって〇〇タイプだから」「あの人って△△タイプでしょ」などとやりがち。

このような偏見とラベリングは、他者をタイプだけで判断・・・・・・・・することで、その人の多様性や個性を見逃してしまうことがあります

例えば、親が子に、上司が部下に。
夫婦間なども含めて、あらゆる人間関係に起こり得ることだと思います。

分析や診断は、一部の特徴や傾向に焦点を当てることが一般的ですが、現実の人間関係や状況は非常に複雑で多面的です。

特に、アラフィフ世代以降の女性は、家族、職場、社会との関わりの中で、多くの課題に直面しています。

型にハマった分析だけでは、そのような複雑さを十分に理解することは難しいと感じます。


では、分析や診断結果に固執しない為には、何を意識すればいいのでしょうか?

柔軟なマインドセット】

タイプ分析の結果に囚われず、自分自身の多様性を認識するためには、柔軟なマインドセットが必要です。

アラフィフ世代以降の成熟した段階でも「成長と変化」は続くものであり、タイプ分析だけに頼ることで、新たな可能性に目を向ける機会を逃してしまう恐れがあります。

これは別に無謀なことにチャレンジしましょう、と言っているわけではありません。

実際に、私自身もクライアント様もそうですが。
新しい「私」との出逢いほど心躍るものはない、ということが経験を通してわかってくると「まだまだ色々な可能性に満ちているんだ」と分析を超えたところに「喜びの種」を発見することが出来ます。

【完璧さとジャッジを手放す】

「過去〇〇だったから」「私は△△タイプだから」などの思い込みや考えに縛られることなく、自分が興味を持つ未知の領域に挑戦することで、新たな才能や能力を発見することがあります。

ただし、真面目な方ほど、最初から完璧を目指そうとします。

ここでも、「やるからにはきちんと」「失敗したら恥ずかしい」という不安と同時に。
うまくいかないと「やっぱり〇〇タイプだからダメなんだ」「これは△△タイプじゃないと無理なんだ」と形になる前にあきらめてしまいがち。

もちろん、本当に出来なかったり、続けられないこともあるかもしれません。

でも、そういったことも含めて受け入れていくことによって、過程も体験そのものも楽しめるようになってきます。

成熟した豊かな人生

タイプ分析や診断は「自分を知る」手段であり、「私」の性格や特徴を把握する上で役立ちます。

ただし、個人的には、ある段階までじゃないかな…と思っています。

「自己の本質」に目覚めていくと、タイプ分析や診断で得た情報は、ほんの表層部分・・・・・・・でしかないことがわかってくるからです。(だから無駄だということではありません)

セオリー通りじゃないことが、人生の中でどれだけ起こってくるか。
大人女子世代の方はご存じだと思います。

タイプ分析や診断に違和感を覚えたり限界を感じた時は、それらを横に置くタイミングかもしれません。

そして、それは新しい「可能性の扉」へと続くサイン。

人ってある意味「球体」のようなものだと思います。

ここからここまでという境界線が明確になっておらず、あらゆる性質はグラデーションになっていて、その時々で変化していきます。

決して、一定ではありません。
出来事や環境によっても、強弱が出ます。

そして、それらは自分でコントロールできるものではありません。

つまり、私達には到底わからない大きな流れの中・・・・・・・・・・・・・・・・・・にいることが、深いレベルで浸透していきます。

「本当の自分」で生きていると、目の前の出来事をただ味わっていくだけになっていきます。
それは、決して単調でもなく、つまらないものでもありません。

この瞬間に「全て」があるのですから。

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