こんにちは、AYUMIです。
大好きな彼に溺愛されたいって思いますか?
それとも、今さらそんなの無理、私には関係ないって思われますか?
パートナーに溺愛されるのに、年齢は全く関係ありません。
と言っても、溺愛されることが「目的」のハウツーは、お伝えできません。
それに、セッション中もそのようなメッセージは来た試しがありません。
でも、実体験の中にはヒントが沢山つまっていると思いませんか?
今日は、そんなことを書いてみたいと思います。
長年パートナーシップが課題だったクライアントのM様。
「本当の自分」に目覚めたことによって、恋愛依存から脱却。
精神的に自立されたことによって、今や彼から溺愛される毎日を送っていらっしゃいます。
この「精神的な自立」が、パートナーシップにおいては大事になってきます。
ところで、「溺愛」って聞くと、皆様は何を感じられますか?
以前の私は、正直言ってあまりいい印象はありませんでした。
「溺れる」って、なんだか節操がないように思えて…。
「節操がない」なんて言葉も、今じゃあまり使われないかもしれませんが(笑)。
でも、時代とともに、言葉のニュアンスが変化しているものもあります。
「変態」という言葉が、今や「突き抜けた人」という意味合いの褒め言葉としても使われるようになっていますが、「溺愛」も然り。
私個人としては、「無条件に大切に想う」という感覚で捉えています。
○○だから大事にする、とか。
□□だから受け入れる、とか。
条件つきではなく、「あなた」という存在そのものが愛しいという感覚。
おじいちゃん、おばあちゃんが孫を溺愛する‥なんて、まさしくそうですね。
パートナーシップに大きな影響を及ぼす一因が、多くの方が無意識に行っている「条件付け」で、精神的な自立を阻むものにもなります。
この「条件付け」をしてしまうと、期待や失望、落ち込みや執着など、もれなく「葛藤」が生じます。
特に男女の関わりにおいて、この「条件付け」は顕著にあらわれる傾向が強いように感じます。
条件をつける理由は、個人の体験や信念などによって異なります。
過去の傷を回避するために、特定の条件や要求を持つことで「自己防衛」をしようとしたり。
あるいは、自己価値が低いと、自分にとって価値のあるパートナーを得るために条件をつけ、それらを満たすことで自己価値を「補完」しようとすることもあります。
つまり、自分の価値をその「関係」に依存している限り、相手の行動や態度によって自分の幸福度が決まってきます。
「条件付け」の根本にあるものが「不安と恐れ」なので、対等な関係を築くことが出来ずに「我慢」と「犠牲」がデフォルトになります。
これでは、本来の自分が出せません。
その反動で、どうにかして相手を「コントロール」しようとあの手この手で画策しようと試みたりもしますが、そんな自分が好きになれるはずがありません。
自分の浅はかさに自己嫌悪。
健全な関係を育むどころか、不満と怒りをため込んで自爆するという最悪のパターン。
エネルギーの無駄遣いとしか言えない状況。
しかも、ほとんどが無意識下で起こる為に、場所や人が変わっても同じことを繰り返します。
これら全て私自身が過去に体験したことばかりです。
繰り返されるパターンの認識をすることから始めて、いくつかのステップを踏んでいくことにより、自己価値を内面的な要素に基づいて確立し、心の平安を取り戻すことが出来ました。
冒頭でご紹介したクライアントのM様も、実は同じようなパターンをお持ちでしたが、継続セッションを通して着実に変化を遂げられました。
自己受容、自己ケア、依存パターンの認識、社会的な関係の多様化など。
時間をかけて丁寧に、そしてあきらめずに進んで来られました。
主語が「彼」から「私」に変わっていくプロセスで、「溺愛される為には・・・」なんて想いはこれっぽちもありませんでした。
自分の力で可能性の扉を開いて、自己愛と幸福に意識がシフトした結果。
そのM様の変化と並行してパートナーシップも劇的に変わり、以前には考えられなかったことの連続。
お話を伺っていると、彼のM様に対する思いが全て「行動」や「言葉」であらわされていて、まさに「溺愛」されているという表現がしっくり来る感じ。
ご本人も「彼が別人に見えます」「予想を遥かに超えることばかりで、信じられません」など、嬉しいご報告が続いています。
一方、彼のほうもM様の著しい変化をハッキリと認識されて、色々と刺激を受けていらっしゃるようで、お互いの信頼関係もより深まっているとのこと。
彼女が溺愛されるようになった経緯を振り返ると、沢山の要素がありますが、前述の「条件付け」から脱却できたということがあげられます。
本来の自分を自由に表現出来て、パートナーとも対等で健全な関係を育むことが出来るようになられたM様は、あらたに世界を広げていかれています。
「葛藤」にあれだけ多くの時間とエネルギーを使っていたなんて、今じゃ考えられないし、やれって言われても出来ません。
そう笑いながらも、自分のやりたいことに突き進んで、さらにパートナーからも溺愛される人生。
そんな女性が、輝かないはずありませんよね♡
あ、もちろん、私もパートナーから溺愛されています(小さな声で・笑)