苦しいのは、あなたが悪いんじゃない

スピリチュアルな目覚め

こんにちは、AYUMIです。

世の中には、たくさんの教えや形而上学、あるいはメソッドなどがある。
…と思います。

私自身は、興味がないのでほとんど知りません。
でも、先日(滅多にないことですが)その中のひとつに珍しく触れる機会がありました。

で、何を一番感じたかと言うと「違和感」。
クライアント様とのセッションでは、詳細をシェアさせてもらったのですが、ここでは差し控えたいと思います。

該当の〇〇が間違っているとか、嘘だとか、ケチをつけたいわけではないんです。

ないですが、いかに「ストーリー」として成り立たせるか?というところに終始していました。

あらゆる出来事を「原因」と「結果」にふりわけ、なんとか「帳尻合わせ・・・・・」をしようとする。
でも、どう考えても無理があるな・・・と。

これだと、いつまで経っても「エゴ」の「ストーリー」から抜け出せません。

抜け出せないことがどれだけ苦しいかは、抜け出した者にしかわかりません。

「原因」と「結果」という二元論的な考え方は、一部の事象や状況に対しては説明がつくかもしれません。

でも、現実世界は複雑で多様。
ひとつの規則や法則で全てを説明することはできないでしょう。

と言っても、昔の私なら抵抗なく受け入れていたと思います。
なぜって、私自身が「ストーリー」にどっぷりつかっていたから。

繰り返しますが、「辻褄合わせ」をすること自体にいいも悪いもありません。
必要だとも無駄とも言えません。

でも、「どれだけ考えてもわからない」「わからないことはわからないままでいい」。

そう思う「きっかけ」が訪れたら、従来のエゴの持つパターンをつかまず、そのまま受け入れていくことによって、それまでとは違った世界が見えてきます。

極端な例かもしれませんが(冒頭の私がお聞きした話の中では実例として取り上げられていました)。

性的被害を受けて心身ともに深く傷ついた女性が(マイナスの出来事)、その後に優しい男性とめぐり逢い(プラスの出来事)、今は幸せ。

過去のつらい出来事も、それがあった「おかげ」で今の幸せがある。

そう捉えることで「対消滅」して「ゼロ」になり、「愛」「感謝」が生まれる。

…という「ストーリー」は決して悪くないと思います。

でも、マイナスの出来事とプラスの出来事を「対消滅」させて初めて「ゼロ」になり、ようやく「愛」と「感謝」が生まれてくるって・・・。

「愛」ってそんなものなのでしょうか?

それに、自分の大切な「家族」が、「娘」が、「友人」が。
もし同じような出来事を経験していたら…。

「あなた、レイプされて死にたくなるぐらいに苦しんだだろうけど、その『おかげ』で今は優しい男性と巡り合えたんだから、よかったわね」

・・・と言えますか?
(あぁ、詳細は差し控えるなんて言っときながら、一部ネタばらしをしてしまいました)

いやいやいや。
ちょ、ちょっと待って。
おかしくない?

なんでもかんでも「おかげ」「おかげ」って。
(感謝することがおかしいとは言っていません)

性的被害にあったことと。
優しい男性と出会えたことと。
その因果関係、誰が決めたの?

この場合、プラスとみなしているのは「優しい男性」だけど、優しい男性がいなければ「他の何か」をプラスの出来事(結果)として引っ張ってくるんでしょう。

もちろん、本人が一ミリの違和感もなくそう思っているのなら、それはそれでいい。
あるいは、癒しの過程でそう捉えることでラクになるのであればそれもそれでいい。

でも、これだと「プラス」のことが続くと、今度は反作用でいつか「マイナス」が起こる。
だから、いいことばかりは続かないというという思考パターンに陥る可能性もあります。

これは、「頑張った」から「幸せ」になれるという古いパターンと通じるものがあります。

逆を言えば、私が「幸せ」でないのは「頑張り」が足りないからだ。
だから、もっともっと頑張らなくては、という苦しいストーリーから出られなくなります。
(これも頑張ることがいけないとは言っていません)

無限に広がる「自由」と「喜び」の人生には程遠くなります。

目覚めのプロセスをたどっていくと、そもそも「マイナス」という概念がなくなります。
そうすると、「プラス」という概念も自ずとなくなります。

最初から「ゼロ」と言ってもいいかもしれません。

怒りがわいてきた時には怒っていいし、哀しみは哀しみのままでいいんじゃないのかな。

本当は、「愛」しかないんだから。

プラスとマイナスというストーリーから抜け出せると、生きるのが本当にラクになっていきます。

今回、この記事を書こうと思った背景には、似たような経緯で違和感を覚えて私のセッションを受けてくださるクライアント様が増えてきているから…。

苦しいのは、あなたが悪いんじゃないと言いたい。

そして、何かの「犠牲」の上に「幸せ」が来るんじゃない。