自分を表現するのに遠慮はいらない

スピリチュアルな目覚め

こんにちは、AYUMIです。

夏本番の暑さ到来ですね。

今回の記事は、クライアント様にご了承をいただき、テーマとして取り上げさせていただきました。

実は、先日の個人セッションで、彼女が話してくれたことが、しばらく頭から離れませんでした。

それは「介護している家族がいたら、綺麗な格好をしちゃいけないんでしょうか?」
「私は可哀想な人で、そんな私がお洒落をしたらダメなんでしょうか?」という言葉。

周りから言われた心ない言葉で、「地味にしなくちゃいけない」「綺麗にしちゃダメなんだ」と、なんとも言えない気持ちになったと話してくれました。

家族の状況や背景、時間の関係や物理的な課題や問題など。
その時々で、物事の優先順位も変わっていくと思いますから、一概には言えません。

でも、介護をしている家族がいる女性にとって、お洒落や自己表現は時に後回しにしがちなことかもしれません。

実際に、そんな気分になれないとか、まずは休息がほしいとか。
これも人によって様々ですが、ご自身が納得していることが一番だと思います。
同時に、自分がそうだから他人も同じだと決めつけることは出来ないでしょう。

「自分を表現したい」という欲求は誰もが持っています。

その方法は、人によって違いはあっても、年齢に関係なくいくつになってもあるものだと思います。

メイクやヘアスタイル、装いなどで自分を表現する楽しみだったり。
あるいは、着るものや身につけるもので気分を変えて、メリハリをつけるということもあるでしょう。

家族を介護しているということと、自己表現やお洒落を楽しむことは、本人の気持ち次第で両立できるものだと思います。

その両立を阻むのが、今回のような他人からの批難や理解の欠如だとすると。
クライアント様のように、やるせない気持ちになるのは当然だと思います。

このような経緯があって、一度自分自身を抑え込んでしまうと。
湧いてきたエネルギーが削がれてしまい、無意識に他のこともあきらめてしまう可能性も出てきます。

一方、他人やまわりではなく、自らその欲求を封じ込めてしまうケースもあります。
私自身は、夫が亡くなった後、多くのことを自分に許可ができなくなってしまった時期がありました。

自分に許可できないことが多ければ多いほど、色々なことに対して葛藤も強くなっていきます。

時間が解決してくれることもあれば、そうでないこともあります。

他人からどう見られているか?どう思われるか?ということを常に気にしながら生活していると、自分の人生を生きることが出来ません。

幸い、クライアント様は、落ち込んで終わりにはせずに、自分なりに表現する方法や場所を見つけられました。

そして、今新たに自分の世界と可能性を広げていかれようとしています。

どんな形であれ、自己表現を通じて自分自身を喜ばせたり、内面的な満足感を得ることは、それを求めるのも実際に行動に移すのも本人の自由です。

他人から押しつけられたルールに従うことはないし、古い観念に縛られることもありません。

それらを飛び越えていく気概とパワーが生まれてくるのは、自分が見ている世界は自分が創っているんだということに気づく時。

別の言葉で言い表すと、「自己の本質」に「目覚める」ということ。
そして、それはゴールではなくスタートです。

あなたは、どんな世界を見たいですか?
そして、どんな世界を味わいたいですか?

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