自分を分析するの、そろそろやめませんか?①ラベルによる自己制限と自己評価の歪み

スピリチュアルな目覚め

こんにちは、AYUMIです。

着物をこよなく愛する私ですが、ここ数年は夏を迎えると暑さでくじけてしまって・・・。
今年こそは!と思っていたのですが、健康が大事。
チャンスがあったら袖を通すかもしれませんが、様子見です。

さて、本日は、自己理解について。

「タイプ分析」「タイプ診断」の限界クライアント様とのセッションでも度々出てくる話になります。

自己の本質に目覚めていくと、私達は本来「自由」で「無限の可能性」に満ちた存在だということが理屈抜きでわかってくるからとも言えます。

「自分の取説」という言葉があるように、タイプ分析や診断などの自己理解の「ツール」は、自己認識を深める上で活用できる「手段」です。

ただ、それらが逆に自分を制限し、可能性を抑えることがあるという点についてお話していきたいと思います。
長くなるので、2回に分けてお伝えしていきますね。

まずはじめに言っておきますが、タイプ分析やツールが不要だということではありません。
使い方次第・・・・・だということです。

このタイプ分析の「罠」に陥る理由として様々なものがありますが、大きく2つがあげられます。

ラベルによる自己制限、そして自己評価の歪みです。

タイプ分析の結果に縛られて、自分を「特定の枠」にはめ込みすぎることで制限してしまうことがあります。

同時に、「私って〇〇だから」という偏った見方を自分に与えてしまうということもあげられます。

以下、いくつかの視点から見ていきたいと思います。

【タイプ分析による自己のカテゴリー化】

色々な種類があると思いますが、タイプ分析やツールは、一般的に個人の性格や行動の特徴を一定のカテゴリーやタイプに分類する手法です。

これは、個人の性格や行動の傾向を理解する上で、有用なアプローチのひとつです。

ただし、その結果に過剰に執着すると、自分をその特定のカテゴリーに縛り付ける可能性があります。

クライアント様の中にも、このことに気づいて違和感を覚え始めた方もいらっしゃいます。

「カテゴリー」イコール「あなた」ではないということです。

私って〇〇という自己の固定化

また、タイプ分析の結果を受け入れることで、「私って〇〇な人なのね」という自己認識をします。

その後の過程で、タイプに当てはまる特徴を「自分のアイデンティティ」の一部として捉えることで、それ以外の側面を見ないようにすることが起こり得ます。

結果として、自己の多様性が制約され、他の可能性が見えにくくなります
これって、すごくもったいないことだと思いませんか?

私自身も経験しましたが、自分で自分をわざわざ「檻の中」に閉じ込めているようなものだとわかったのは、そこから出たからに他なりません。

【ラベルによる自己制限

タイプ分析の結果によって自分を特定のラベルに当てはめることで、そのラベルに沿った行動や選択を自分自身に求める傾向が生じます

これは、思っている以上に強力で、徐々に定着していきます。
定着してしまうと、今度はそこから動くことが出来なくなっていきます。

親から、あるいは社会との関わりで、他者から繰り返し言われた「刷り込み」も同じようなものだと思います。

そして残念ながら、多くの方はポジティブな側面よりも、ネガティブな側面にどうしても目がいきがち。

その結果、「私は〇〇タイプだから、こういうことには向いていないはず」といった考え方が、自分を制限する一因となったり。

あるいは、「私は◇◇だから、やっぱりこうなったのね」と安易に意味付けに使って、事実を見ないようにするパターンに陥ったり。

「やってみないとわからないよね」「本当のところはどうなの?」というところに意識がいかなくなります。

自由になりたいと頭では考えていても、無意識レベルで「不自由」を選択していることに、そもそも気づいてもいない・・・・・・・・・・・・・・・・・ということがほとんどです。

新たな可能性への恐れや抵抗

自己制限にも通じますが。
タイプ分析に固執することで、新たな可能性、まだ見ぬ側面に対して抵抗が生じることがあります。

新しい経験に心を開いていくことに対して恐れを抱きやすくなるということです。

これは、成長の機会を逃すばかりか、目の前に差し出されているギフトを「受け取らない」と拒絶しているということもあるかもしれません。

無意識のうちに「やらない理由」「出来ない理由」に使ってしまっているケースもよくあります。

これも、めちゃくちゃもったない!
と書きながら、私自身もそのパターンにはまっていたからこそ、よくわかります。

では、制限から解放されるには、どうしたらいいの?ということも含めて、次に続きを書きたいと思います。