こんにちは、AYUMIです。
あまりの暑さに閉口して、東急ハンズで「ネックリング」を購入してしまいました。
今やこういった商品も「ブルベ」「イエベ」と、自分の肌の色に似合うものを選べるようになっているんですね。
使い心地は、なかなかです♪
さて、このような日用品ではなく。
ご自分にとって何か「特別なもの」を手に入れることがあると思います。
ご褒美と称して、あるいは何かの節目として…ということもあるでしょう。
また、自分を変えたいとか、現状から脱したいとか。
その「きっかけ」として思いきって、ということもあるかもしれません。
ただし、それらを手に入れただけで、人生がまるっと変わるとか。
突然薔薇色になって、願いがバンバン叶うとか。
・・・・そんなことは、まず起こりません。
これはあくまでも「例え」ですが。
超一流の職人さんが作った調理器具を手に入れたとしても。
それをただ眺めているだけでは、何も出来ないし口にも入りません。
こだわり抜いたパーツを使って、オーダーの自転車を作ったとしても。
それに自分が乗って動かない限りは、行きたいところには行けません。
こうやって書くと「当たり前でしょ」と思われるかもしれません。
でも、これがスピリチュアルな要素の強いアイテムになると・・・。
途端に「モノ」を神格化してしまって、ズレてしまうことが起きがちです。
特別なパワーが宿った○○や、奇跡の□□など。
それらが嘘だとは思いません。
全ての物質は固有のバイブレーションをもっていて、特定の周波数や波長と呼ばれるものが、様々な効果を及ぼすことは知られています。
実際に、そのような事例も沢山あると思います。
また、背景にあるストーリーに惹かれることもあるでしょう。
決してそれが悪いということではありません。
ただし、手に入れたものを、使うのも活かすのも自分自身です。
「モノ」ありきじゃありません。
まず「自分」ありきです。
金額の大小も関係ありません。
「モノ」は良き相棒になっても、「私」の人生の主人公にはなりません。
繰り返しますが、スピリチュアルな要素の強いアイテムを否定しているわけではありません。
先日も、クライアント様とのセッションでお伝えしたのですが、あくまで「手段」であるということです。
過度な期待と依存は、自分自身の力や可能性を見落とすことがあります。
これは、本当にもったいないことだと思います。
私自身は、過去に不安と恐れを煽られて、とあるアイテムをすすめられたことがあります。
その当時のことは、旧ブログに書きましたが、人って落ち込んでいたり罪悪感を刺激されたりすると、それらを「モノ」で埋められると勘違いしてしまうこともあると思います。
不安と恐れは、さらなる不安と恐れを生み出すだけです。
どんな「モノ」であれ、それが内なる平和や成長を促す良き相棒であれば有用ですが、逆に自分の力を制限することになってしまっては本末転倒。
人は、本来無限のパワーと可能性を秘めています。
それらを「発見」したり「発揮」する為の手段として、自分と相性のいいアイテムを使うことは後押しになると思います。
「モノ」との出逢いも「ご縁」です。
「本当の自分」と真に繋がりを築く為に楽しく使っていき、その過程で必要ないと感じた時は「卒業」するタイミングなのかもしれません。
人生の幸福や充実感を制限する使い方ではなく。
また、一時的な心地よさや満足感にとどまらず。
自己の意識を広げていく助っ人として役立つことにより、はじめて「モノ」は本物の魔法の道具になっていくのだと思います。